栖雲寺について

 

栖雲寺について

〔宗旨〕 曹洞宗(禅宗)
〔本山〕 福井県・永平寺 横浜市・総持寺
〔本尊〕 聖観世音菩薩
〔寺宝〕 山号額(高僧佛通禅師の書)/本堂の欄間(一本作りの猿の透かし彫りは桃山時代の作)/涅槃図(一軒四方の大きな図 年に一度12/8に本堂に掛けます)/大日如来像および天井絵/檀家さん

世古宗椿座元

旧栖雲寺跡地の山門を上がって左側に当寺開基(最初に寺を開かれた功労者)【世古宗椿座元】の大きな石の碑があります。
亡くなられた年月日から推測すると、約390年余りの歴史があります。

優しいお寺

お寺は敷居が高いと感じていませんか?栖雲寺はだれもがお参りすることのできる、開かれたお寺を目指しています。

バリアフリー

栖雲寺は駐車場も広く、本堂内はバリアフリーのフローリングで椅子に座ってお参りして頂けます。入口にはスロープがあり、本堂や納骨堂まで、車椅子でお参りすることができます。お手洗いも車椅子で入る事が出来ます。(本堂内にも車椅子を完備)

栖雲寺納骨堂

栖雲寺納骨堂は、お墓のない方、将来お墓の管理に不安を感じている方、お墓の継承者のいない方のために、お寺が管理し、皆で供養し合い、人生を平安に充実して生きて頂くための、「新しいお墓のかたち」です。

新しいお墓のかたち

「生前はお墓やお仏壇の代わりに」「亡くなった後は永代供養を」 というように、それぞれのご家庭の事情に沿ってご利用いただけます。
清潔で空調完備の納骨堂は、雨の日や夏・冬の日のお参りも快適です。

伊勢志摩

栖雲寺のある伊勢志摩は入り組んだリアス式海岸が続く真珠の里。伊勢エビやカキ、アワビなどの海の幸にも恵まれています。中でも的矢湾は良質のカキ・海苔の産地です。

心のふるさと

また伊勢志摩はお伊勢まいりで有名な伊勢神宮を擁し、古くから世界的な観光地として国内外の人々から愛され、親しまれています。
ご参拝の帰りに素晴らしい景色と美味しい海の幸を楽しんでみてはいかがでしょうか?

沿 革

 安永9年2月(1780年)
的矢・禅法寺の8世「天瑞一鳳大和尚」が当寺に転住され、
本寺 鳥羽・常安寺14 世「天霊慧満大和尚」を
開山に拝請(御招き)し、自らが2世となられ開かれました。
 天明2年(1782年)に三ケ所の外れに在った
「像座山・大日寺」(真言宗)を統合し「大日山・栖雲庵」と改名し、
大正5年11月「11世 大渓雪城大和尚」の本堂再建にあたり、
栖雲庵を改め、今の「大日山・栖雲寺(だいにちさん せいうんじ)」となりました。

大日堂について

村落から南に離れた西の浦に面した苔むした杉木立の中に大日堂はありました。
しかし老朽化によりお堂の劣化が著しく、大日如来様を御護りすることが年々困難となってきたため、2017年9月、新しく再建された栖雲寺の本堂へと御遷座されました。
同時に天井絵も栖雲寺本堂奥の位牌堂天井へと移されました。

成り立ち

大日堂はその昔「像座山・大日寺」と称し、真言宗の寺院でした。その後天明二年(一七八二年)現在の栖雲寺の堂宇となったのです。その栖雲寺も大正七年(一九一七年)大日山・栖雲寺と改め現在に至っています。
また、この地を像座と称するのも山号の像座山によるものです。堂前から海上に這うように長さ二十メートルにも及ぶ【竜灯の松】と言われる大松がありました。いろいろな伝説を秘めていましたが、惜しくも数十年前台風の災禍に遭い枯死してしまいました。

大日如来とは

正しくは大日如来毘盧遮那仏と言い、すべての仏の王様で宇宙の中心から全ての者を平等に照らす太陽のような仏様です。大日如来は【金剛界】と【胎蔵界】2種類あり、栖雲寺の大日如来様は両手を胸の前で智拳印を結んだ【金剛界】の大日如来様です。
静かに両手を合せ「オン アンビラウンケン ソワカ」と三回唱え、念じます。身心清浄にして一心に祈願すれば所願成就の仏さまです。

如来像

大日如来像は、桧造りの座像で髪際高五十センチ、頭に宝冠を被り宝髪に結い豊頬、円満、温顔で、胸に瓔珞を飾り、腕輪をつけ一見菩薩さまのようなお姿をしています。 鎌倉時代の作とも江戸時代初期の作とも伝われていますが、詳細は不明です。

三浦新介

源頼朝が富士の裾野で狩をしていた時 家来の三浦新介は獲物の狐の命を助けたことから(曽我物語・源頼朝の富士の巻狩の話)頼朝の怒りに触れ 空うつろろ舟(小舟)に乗せられ沖へと流されてしまいました。
舟は波間を幾昼夜も漂い、流れ着いたのがお堂向いの国府の宮潟浦でした。白狐たちも命の恩人新介を追いかけました。しかし途中で一匹・二匹と死に、子狐一匹と母狐が宮潟浦まで辿り着きましたが、ついに息絶えてしまいました。

語り継がれているもの

それを知った国府の村人達が哀れんで、宮潟浦の大日堂が見渡せる岡の上に母白狐と子白狐の塚を造って祀ってあげたそうです。(国府・宮潟に実在します)その時新介の持っていた獅子頭が、国府の神社の宝物となり現在に至っているそうです。
そして新介の兜の中にあった守り本尊を三ケ所の漁師が拾い上げました。それは一寸八分の金無垢の大日如来像であり、それがこの大日如来の身体に入っているとか、いないとか・・・、真実は定かではありませんが、このような話が語り継がれている事からすれば鎌倉時代の作と言うのが有力でしょうか。